法隆寺 聖徳太子が創建した世界最古の木造建築!

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法隆寺 聖徳太子が創建した世界最古の木造建築!
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聖徳太子が建立した法隆寺は、東大寺と並んで日本で一番知られている寺院であり、世界文化遺産に指定された現存する世界最古の木造建築群です。
奈良を代表する七大寺(興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)のほとんどは奈良時代・平城京遷都に伴って建立または移転されたお寺ですが、法隆寺をはじめとした斑鳩の寺院(中宮寺・法輪寺・法起寺)は1時代前の飛鳥時代、聖徳太子が日本の国創りをはじめた頃のものです。
聖徳太子は当時の「隋」が370年振りに中国を統一し周辺諸国に勢力を伸ばそうとしていた国際的緊張の中、遣隋使を派遣し中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法などの法律を整備、天皇を中心とした中央集権国家体制を確立し日本の国家の基礎を築きました。
法隆寺は太子が亡き父用明天皇の為に建立したとされてますが、同時に仏教を国創りに取り入れ、民衆に広く伝えるための場所であったことが現在まで続いている太子信仰からも伺い知ることが出来、聖徳太子が国創りを始めた頃に建てられた歴史的建築物であると同時に、太子自身を祀り信仰するお寺でもあります。

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。
法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

出典 http://ja.wikipedia.org

参道

国道25号線沿いの法隆寺表参道入口。 法隆寺iセンターはこの右側になります。



参道を真直ぐ進みます。

南大門前

南大門(国宝)

南大門(国宝)
西院伽藍の南方、境内入口に建つ。入母屋造の一重門。室町時代(1438年)に、当時の西大門を移築し建立。建築当初は切妻屋根であった。

出典 http://ja.wikipedia.org

西院伽藍・中門前から南大門を望む

西院伽藍・中門前から東大門を望む

西院伽藍・中門前から西大門を望む

西大門

法隆寺は南も西も東も「大門」です。 境内の広さ・寺院の大きさを実感します。

西大門を外側から望む

西円堂(国宝)

西円堂に向かう道は絵になりますね、桜や紅葉の時期はスケッチや写真撮影ポイントになるのではないでしょうか。

西院伽藍の西側、西大門側に西室・三経院の横を北に上がって行くと西円堂になります。南大門から真直ぐ西院伽藍に入ってしまうと出口が聖霊院側になるのでこちらを見落としてしまいがちです。西院伽藍に入る前に観られるのがいいと思います。

西円堂(国宝)
西院伽藍の西北の丘の上に建つ八角円堂。鎌倉時代の建立。堂内の空間いっぱいに坐す本尊薬師如来坐像(国宝)は、奈良時代の乾漆像。本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像(重文)、千手観音立像(重文)を安置する。

出典 http://ja.wikipedia.org

西円堂から五重塔を望む

西室・三経院(国宝)

三経院は聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈され、民衆に広められたことからつけられた名称ですが、現在でも毎年5月16日~8月15日に三経の講義が行われています。

三経院及び西室(国宝)
西院伽藍の西側、聖霊院と対称的な位置に建つ。鎌倉時代の建立。阿弥陀如来坐像持国天・多聞天立像(各重文)を安置。

出典 http://ja.wikipedia.org

西院伽藍

法隆寺といえば、薬師寺の金堂・西塔の再建に尽力した宮大工・西岡常一棟梁が深く関わっているお寺です。西岡棟梁のお父さん・おじいさんは代々法隆寺の宮大工棟梁で、西岡常一棟梁も若年の頃から宮大工としての技能を徹底的に仕込まれた様です。
棟梁が高校を卒業すると直ぐに見習いとなり、4年後には大工として独立。法隆寺の修理工事に参加します。その後法隆寺五重塔縮小模型作成・東院解体工事の祭地質鑑別の功績が認められ正式に法隆寺棟梁となり、引き続き法隆寺-昭和大修理に関わり多くを学んだと言われており、この経験が後に薬師寺再建に繋がって行きました。
棟梁の法隆寺-昭和大修理に関する事は法隆寺参道横にある法隆寺iセンターで展示されてますので、時間があれば寄られては如何でしょうか。

そして、残念ながら現在(2016~2018年12月)中門は修復工事中の為見ることが出来ません。2019年に美しく修復された中門と金剛力士像を見れるのを楽しみに待ちましょう。


西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置する。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊が囲む。回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっている。回廊の途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいる。金堂、五重塔、中門、回廊は聖徳太子在世時のものではなく7世紀後半頃の再建であるが、世界最古の木造建造物群であることは間違いない。金堂・五重塔・中門に見られる建築様式は、組物(軒の出を支える建築部材)に雲斗、雲肘木と呼ばれる曲線を多用した部材を用いること、建物四隅の組物が斜め(45度方向)にのみ出ること、卍くずしの高欄(手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)などが特色である。これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔(焼失)のみに見られる様式で飛鳥様式とされる。

出典 http://ja.wikipedia.org

金堂(国宝)

金堂(国宝)
入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみである。
二重目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻んだ柱は構造を補強するため修理の際に付加されたものであるが、その年代については諸説ある。金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものであったが、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損した。
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ(ただし、これらの間に壁等の仕切りがあるわけではない)、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置する。

出典 http://ja.wikipedia.org

釈迦三尊像(国宝)

法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像は聖徳太子が亡くなる前・発病時に病気平癒を願い創られた、太子自身がモデルとされていると言われています。またこの他に法隆寺建立時に太子の父・用明天皇が自らの病気平癒を願い創られた薬師如来像がありますが、どちらも奈良時代の仏像とははっきりと異なり、面長でスリムな体型なのが明日香仏像の特徴の様ですね。

五重塔(国宝)

五重塔(国宝)
木造五重塔として現存世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初層から四重目までの柱間は通例の三間だが、五重目のみ二間とする。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。この塑像に使用された粘土は、寺の近くの土と成分がほぼ等しいことから近くの土で作られたと推測される。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表す。北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像が特に有名である。

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大講堂(国宝)

大講堂(国宝)
桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き。平安時代の延長3年(925年)に焼失後の、正暦元年(990年)に再建。薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)を安置する。

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経蔵(国宝)

経蔵(国宝)
奈良時代の楼造(二階建)建築。観勒僧正坐像(重文)を安置するが、内部は非公開。

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鐘楼(国宝)

鐘楼(国宝)
経蔵と対称位置に建つが、建立時代は平安期。

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回廊(国宝)

回廊(国宝)
金堂などとほぼ同時期の建立。廊下であるとともに、聖域を区切る障壁でもある。ただし、大講堂寄りの折れ曲がり部分より北は平安時代の建立である。当初の回廊は大講堂前で閉じており、大講堂は回廊外にあった。

出典 http://ja.wikipedia.org

上御堂(重文)

上御堂(重文)
西院伽藍の大講堂の真裏(北)に建つ。鎌倉時代の建立。釈迦三尊像(国宝)、四天王立像(重文)を安置。通常非公開だが、毎年11月1日~3日に限り堂内を公開。

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東室・聖霊院・僧坊(国宝)

聖霊院(しょうりょういん)(国宝)
西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る堂。鎌倉時代の建立。この建物は本来は東室の一部であったが、1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀った。現在の聖霊院は1284年に改築されたものである。聖徳太子及び眷属像(平安時代、国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)を安置。太子の命日の旧暦2月22日を中心に(現在は3月22日~24日)、法隆寺最大の行事であるお会式(おえしき)が行われる。
東室(ひがしむろ)(国宝)
聖霊院の北に接続して建つ。後世の補修・改造が多いが、基本的には奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重である。

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正岡子規 歌碑

正岡子規の句で良く知られている「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の歌碑です。
法隆寺に立ち寄った後茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴りその響きに秋を感じた。というのが句意だそうです。

妻室(重文)

網封蔵(国宝)・細殿・食堂(国宝)

綱封蔵(こうふうぞう)(国宝)
聖霊院の東に建つ、奈良時代~平安初期の倉庫である。

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食堂(じきどう)(奈良時代、国宝)および細殿(ほそどの)(鎌倉時代、重文)
西院伽藍の東方北寄りに建つ。食堂本尊の薬師如来坐像(重文)は奈良時代の塑像だが、補修が多い。本尊以外の仏像は大宝蔵院に移されている。

出典 http://ja.wikipedia.org

大宝蔵院(百済観音像)

大宝蔵院
百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成した。

出典 http://ja.wikipedia.org

百済観音菩薩像(国宝)

大宝蔵院の百済観音は2m以上の長身でスリムな体型と緩やかなS字カーブを描く立ち姿が特徴的な仏像です。法隆寺の仏像はこの他に夢殿に安置されている救世観音も同様に長身でスリムな体型が特徴的で、奈良時代以降のふっくらとした仏像とは明らかに異なります。この時代の日本は百済との交流が盛んだった頃で大陸や半島から多くの人が移住しており、こうした中の優れた技術を持った仏師が創った可能性も考えられます。


大宝蔵殿

大宝蔵殿
大宝蔵院とは別個の建物。1939年の建設で、大宝蔵院が完成するまでは、この大宝蔵殿で多くの寺宝が公開されていた。現在は、春秋の観光シーズンのみ開館し、大宝蔵院に展示しきれないさまざまな寺宝を公開している。

出典 http://ja.wikipedia.org

東大門(国宝)・築地塀

東大門(国宝)
西院から東院へ向かう道筋に建つ、奈良時代の八脚門。

出典 http://ja.wikipedia.org

東院伽藍

東院伽藍[編集]
東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。『法隆寺東院縁起』によると、天平11年(739年)、斑鳩宮が荒廃しているのを見て嘆いた僧行信の創建である。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。

出典 http://ja.wikipedia.org

四脚門

夢殿(国宝)

夢殿(国宝)
奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。夢殿は天平11年(739年)の法隆寺東院創立を記す『法隆寺東院縁起』の記述からその頃の建築と考えられているが、これを遡る天平9年の『東院資財帳』に「瓦葺八角仏殿一基」の存在が記され、その頃に創立された可能性も考えられている。8世紀末頃には「夢殿」と呼称される。
奈良時代の建物ではあるが、鎌倉時代に軒の出を深くし、屋根勾配を急にするなどの大修理を受けている。昭和の大修理の際にも屋根を奈良時代の形式に戻すことはしなかったため、現状の屋根形状は鎌倉時代のものである。基壇は二重で、最大径が11.3メートル。堂内は石敷。堂内の八角仏壇も二重で、その周囲に8本の入側柱が立ち、入側柱と側柱の間には繋虹梁を渡す。入側柱と側柱は堂の中心に向かってわずかに傾斜して立つが、これは「内転び」と呼ばれる中国渡来の手法である。

出典 http://ja.wikipedia.org

救世観音菩薩像(国宝)

夢殿の救世観音像も聖徳太子の等身像とされており、長く秘仏として奉安されてきたためまだ比較的多くの金箔が残っています。


礼堂

舎利殿・絵殿

絵殿及び舎利殿(重文)
鎌倉時代の建立。絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていた。太子の生涯を描いた最古の作品であるが、明治11年(1878年)、当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっている。絵殿には江戸時代に描かれた「聖徳太子絵伝」が代わりに飾られている。

出典 http://ja.wikipedia.org

鐘楼(国宝)

南門(重文)



Youtube

JR東海の美しいCM映像です。


Twitter

@e_la_blurana131 奈良も中心地以外も見所多いよ~。法隆寺がある斑鳩地区とか信貴山とか平城宮跡、唐招提寺や薬師寺がある西ノ京、明日香、橿原…言うなれば日本の原点だからね。歴史好きだと尚楽しいよ!
たまに親子の鹿さんを… twitter.com/i/web/status/9…
わたしは法隆寺の修理や解体で、飛鳥の工人たちにたくさんのことを教わりました。法隆寺でわたしは学生だったんですな。それを卒業して初めて、薬師寺で仕事ができると思ってますわ。
昨日の歴史秘話ヒストリアの聖徳太子、めちゃくちゃおもしろかった。実は、日本史上最も尊敬している人は、聖徳太子です。この人がいなかったら、ほんとに今の日本は全く違う国になっていたと思われる。前に法隆寺へ行って、ものすごく感動した。
歴史小話⑧ ギリシア建築で柱の中央部分が膨らませた技法をエンタシスといいます。法隆寺の柱も中央部分が膨らんでいるので、これはギリシア建築の影響だ!と一時期教科書にも書かれていました。ですが、中国や朝鮮、東南アジアにそのような建築技法はなく、ギリシア伝来とは考えられません。



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