興福寺 愁いのある少年の表情が心を魅了する阿修羅像! 法相宗大本山

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興福寺 愁いのある少年の表情が心を魅了する阿修羅像! 法相宗大本山
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出典 http://www.kyuhaku.jp

興福寺は通常のお寺のように門や回廊で境内が仕切られておらず奈良公園の1部として存在していますので境内を歩くのに拝観料はいりませんし公園内を歩いていると自然に興福寺に入るのである意味とても身近で市民の生活に溶け込んだお寺といえるかもしれません。

創建時は猿沢の池に面して北に南大門・中門/回廊・中金堂・講堂とあり東に五重塔・東金堂・食堂、更に東に大湯屋・本坊があり、西には南円堂・西金堂・北円堂、さらに西に三重塔 とかなり広い境内を持つ寺院でした。現在2018年の完成予定で中金堂が再建されていますが、薬師寺や平城宮のように南大門・中門・回廊… と再建されれば当時の壮大な伽藍を見ることが出来るかもしれませんね。

興福寺といえば愁いのある少年の様な表情をした阿修羅像が有名ですが、金堂が東西中と合っただけに国宝・重要文化財の仏像も数多く所蔵しています。
現在は国宝館が休館中となっており、東金堂と仮金堂で公開されています。

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

出典 http://ja.wikipedia.org

五重塔

猿沢池からの眺めはもう有名ですが、荒池側からの眺めや、どこからでも目にできる間違いなく興福寺のシンボルですね。

五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

出典 http://ja.wikipedia.org

東金堂

東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。
・銅造薬師三尊像(重文)
・木造維摩居士坐像(国宝)
・木造文殊菩薩坐像(国宝)
・木造四天王立像(国宝)
・木造十二神将立像(国宝)

出典 http://ja.wikipedia.org

花の松石碑

花の松石碑 弘法大師が自ら植えられた松の木があった場所で、昭和12年に枯死したそうですが、とても大きな古木だったようです。

仮金堂

仮金堂には現在阿修羅像をはじめとする国宝館に収蔵されていた仏像が公開されています。(拝観料¥900)

南大門跡

南大門跡 猿沢池側から階段は残っていますね。

中門・回廊跡

中金堂(再建中)

中金堂は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として和銅3年(710年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定される。のちに東金堂・西金堂が建てられてからは中金堂と呼ばれている。創建以来たびたび焼失と再建を繰り返したが、江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、文政2年(1819年)、篤志家の寄付によってようやく再建された。この文政再建の堂は仮堂で、規模も従前の堂より一回り以上小さかったが、興福寺国宝館の開館(1959年)までは、高さ5.2メートルの千手観音像をはじめ、現在興福寺国宝館で見られる仏像の多くを堂内に安置していた。また、朱色に塗られていたため「赤堂」として親しまれていた。あくまで仮の堂として建てられたため、長年の使用に不向きである安価なマツ材が使用され、瓦も安物が使われたために経年による雨漏りがひどく、1974年に中金堂裏側の講堂跡に仮金堂(奈良・薬師寺の旧金堂を、入母屋造から寄棟造にし、向拝を撤去するなどの大改造により外観を変えて移築したもの)が建てられ、本尊の釈迦如来坐像などはそちらに移された。文政再建の仮堂の中金堂は老朽化のため移築再利用も不可能と判断され、一部の再利用できる木材を残して2000年に解体されている。なお、中金堂解体後の発掘調査も終了し、創建1,300年の2010年着工、2018年落慶を目指し、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内の整備が進められている。

出典 http://ja.wikipedia.org

国宝館

元々は食堂が建てられてた場所で、仏像や寺宝を収蔵していた。

本坊

大湯屋

奈良時代から設けられていた寺院の風呂場。現在の建物は室町時代に再建されたもの。

南円堂(猿沢池から)

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである(2002年秋、2008年秋、2013年春に特別開扉が行われた)。堂内には本尊不空羂索観音坐像のほか、四天王立像と法相六祖像を安置していたが、法相六祖像は国宝館に移されている。堂の前に生える 「南円堂藤」 は南都八景の一つで、毎年、美しい花を咲かせている。
・木造不空羂索観音坐像(国宝)
・木造四天王立像(国宝)

出典 http://ja.wikipedia.org

不動堂

北円堂

北円堂(国宝)は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。現在、回廊の復元計画中。
・木造弥勒仏坐像(国宝)
・木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像
・木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)
・木心乾漆四天王立像(国宝)

出典 http://ja.wikipedia.org

北円堂から南へ進むと南円堂の裏を抜け三重塔へ…

三重塔

興福寺境内は何度も通っていましたが、この三重塔の存在には気付来ませんでした。
今回初めて拝見しましたが小ぶりながらとてもバランスが良く、何か上品で形の整った美しい塔です。現在のものは鎌倉時代に再建された様ですが平安時代の建築様式で建てられてるそうです。

猿沢池から南円堂へあがる階段の途中・延命地蔵のある通りへ左に入ってゆくとご覧になれます。

三重塔(国宝)は、康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。治承4年(1180年)の大火による焼失記録はないが、現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられる。

出典 http://ja.wikipedia.org

延命地蔵

猿沢池からの興福寺

猿沢池西側から南円堂

猿沢池東側から五重塔

Youtube

JR東海のCM・美しい映像です。




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